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私は三人兄弟です。

色々な事情により兄弟の年齢差がかなり離れています。

姉と私は6歳の年齢差があり、弟とは12歳の年齢差があります。

つまり姉と弟の年齢差は18歳です。親子ほどの年齢の差があります。

弟は母が42歳の時の子供です。

姉が小学校入学で一息つく頃に私が生まれ、私が小学校を卒業する頃に弟が生まれているので、かなり長い間子育てをしていました。

もっと遡ると、田舎生まれの母は9人兄弟の下から3番目で小学校に通う時には姪や甥をおんぶして学校に通い面倒を見ていたそうです。

そして、弟が12歳になり小学校を卒業する頃、姉に長女が生まれました。

姉はフルタイムで仕事をしていたので生後1ヶ月から孫の面倒をみる生活が始まります。

その4年後に姉に次女が生まれます。

姉は実家の近くに住んでいるので、孫たちは学校の帰りに直接実家に帰り、母は身の回りの世話をする生活を送っていました。

母が70歳を過ぎる頃には姉の子供たちも大きくなり、徐々に実家に寄ることも減ってきました。

母の様子が心配になったのは75歳の頃でした。

「匂いがわからない」

「食品の管理がされていない」

「部屋の中が片付いていない」

「被害妄想的な発言が多くなってきた」

高齢者の仕事をしていた私は、おそらく普通の人よりも敏感になってしまうのかもしれませんが、元気で自立生活を送っていた高齢者が認知症に進んでいく過程に似ているようで不安でした。

そんな母を救ってくれたのは弟夫婦でした。

実家から徒歩圏内に家を建ててくれました。

弟夫婦は共働きで、2人の息子がいました。

家を建てるまでは、お嫁さんは産休を取っていたのですが、家の購入を機に職場復帰をすることとなりました。

そこから母は、変わって行きました。

幼稚園と入園前の2人の男の子の面倒を見なくてはいけません。

仕事が忙しい弟夫婦に変わって、母は食事の支度や洗濯、幼稚園の準備が始まります。

75歳からの子育てです。

体力的にはかなりしんどいのでは無いかと思います。

それから約5年

80歳になった今も小学生となった男の子2人は、学校帰りは実家に寄ります。

近所の子供たちも遊びにきたりします。

食事の支度は、弟家族の分も含めて行っています。

母は、おばあちゃんではありますが

ずっと「母」の役割を担っているのです。

母が動けなくなったら、たちまち弟家族の生活は狂ってしまいます。

母には幼い子供達を、健康に良い子に育てなくてはいけないと言う責任があります。

自分の存在が、家族に必要とされている

と言う思いが、母を健康にさせているのだと思います。

仕事をしているからこそ、子供達が帰ったあとの父との晩酌が美味しいのです。

実家の母のように子供や孫が近くにいる状況は稀だと思います。

同じことを勧めている訳ではありません。

75歳の頃、母がややおかしいなと感じたのは

もしかすると、役割が終わってしまったから

ではなかったのかなと感じるのです。

多くの人は自分のためだけでは、頑張れないと思うのです。

それは家族に限ったことではなく、友人のため、お客様のため、

自分の存在が誰かの役に立っている。

自分の存在が誰かを幸せにしている。

そう思えることが幸せなのでは無いかと思います。

高齢になると、確かに身体能力が衰え疲れやすくもなるし出来ないことも増えてきます。

だからと言って、

「大変だからやってあげる」

「大変だから頼まない」

というのが優しさとは違うと思うのです。

実家は裕福ではありません。

母は素敵なお部屋もなければ、習い事をしたり、旅行に行ったりすることもできませんでした。

でも彼女は

とても豊です。

「自分は幸せだ。」といつも言います。

「孫が中学を卒業するまでは、手がかかるから自分が死ぬわけにはいかない。」と言います。

ちなみに

母は、ボランティアではありません。

ちゃんと姉からも、弟夫婦からも対価をもらっています。

だからこそ、余計に仕事として責任を持ち、やりがいを持てているのではないでしょうか。


そして、70代の過ごし方って、その後の人生にすごく影響してくる気がしてなりません。

70歳過ぎたら新しいことにチャレンジして欲しいな。