日立ソリューションズ様の会報誌「プロワイズ」にて、弊社代表のインタビュー記事が掲載されました。
ぜひご一読ください。
介護現場で15年間働いた経験を活かし、2020年、50歳にして高齢者向けにヘアセットやメイクを行いポートレートを撮る出張撮影サービスの会社を立ち上げた山田真由美氏。遺影の撮影も手がけ、日本郵便の終活紹介サービスメニューにも選ばれた。山田氏に、「五十知命」での起業に懸ける思いを語ってもらった
2021年4月に施行される改正高年齢者雇用安定法では、企業に70歳までの雇用の努力義務が設けられる。「人生100年時代」を目前に60歳の定年後も働くビジネスパーソンが増えているが、年齢が高くなるほどキャリアの構築は容易でなくなる。そうした中で、山田真由美氏は50歳で出張撮影サービスの会社を起業した。
「60歳になった時に輝いているために今スタートを切った方がいいと思ったんです」
介護福祉士、ケアマネジャー、美容師の資格を有し、50歳直前で写真家という新たなキャリアを加えた。しかし、「もともとキャリアアップには関心がなかった」と言う。実際、山田氏のキャリアは、目の前の課題を解決するために技術を身につけて資格を取得し、現場での経験を重ねる中で地道に築き上げたものだ。
23歳で結婚を機に専業主婦となり、翌年、長男を出産。2世帯住宅を建て、義父母と同居した。子どもが幼稚園に通うようになると、住宅ローン返済の足しになればと自宅近くの商店街で働き始めた。「時間の融通が利くから」と大手ファストフードチェーンのアルバイト店員になったのは29歳の時だ。
「何事もやり始めると夢中になる性分なので」と述懐するが、適性もあったのだろう。3年目には店長代理に抜擢された。義父母の協力を得て週5日、朝5時に出社。シフトを調整したり、スタッフやお客様に目を配りながら店舗運営の適正化を図ったりする日々はやりがいに満ちたものだった。
その一方で、「スピード勝負の仕事だから、ある程度の年齢までしかできない」とも考えていた。年配のマネジャーが若いアルバイトからけむたがられている姿に、未来の自分が重なった。そんな時仕事仲間から誘われたのが、ホームヘルパーの受講だった。
折しも、要介護高齢者の増加や介護の長期化を背景に、高齢者の介護を社会で支え合う介護保険制度が本格的に動き出そうとしていた。「これからはホームヘルパーの資格があれば仕事に困らない」。仲間の言葉に軽い気持ちで取得を決めた。まさかそこに、自分の将来を左右する運命的な出会いが待っていようとは想像もしなかった。
資格を取得して最初に勤務した老人ホームには、ほろ苦い記憶しかない。
ファストフード店に勤務していた頃から、「お客様に喜んでいただきたい」という思いが人一倍強かった。しかし、入居者によかれと思って通常の業務の枠を超えたサービスをすると、「あなたが余計なことをすると、他の人もやらなければならなくなる」と苦情を言われたという。 「介護施設も“お客様商売”のはずなのに……。何が正しいのか分からなくなった。ここでは私のやり方が正しくないのであれば、働き続けるのは無理だと思いました」
3年ほど勤めた後に施設を去った。
メイクで入居者の粗野な態度が一変
一時は「自分には介護の仕事は向いていない」とまで思い詰めた。だが、以前の同僚から勧められた別の老人ホーで働くようになって、考え方が一変する。
そこは比較的裕福な入居者が多いためか、女性はホールでの朝食にもばっちりメイクをして、しゃれたセカンドバッグを手にして現れる。そして、入居者同士で「あら、そのバッグかわいいわね」といった女子トークを繰り広げるのだ。山田氏にとっては、ちょっとしたカルチャーショックだった。
「前の老人ホームでは毎朝、車椅子の入居者をずらりと1列に並べ、洗顔代わりに蒸しタオルで顔を拭いていました。お世話をしやすいよう、入居者は皆、名札を見なければ男女の区別がつかないほど、髪を短くカットされていた。あの時の80歳の女性と、今度の80歳の女性とは、とても同年齢とは思えなかったのです」
着飾ったり、美しくメイクしたりすることが生きる活力を生み、若々しさや健康を維持する手段になり得る。そう確信するに至った背景には、老人ホームでのある女性との出会いがあった。女性は認知症を患っており、そのためか、スタッフに強い言葉を浴びせることも少なくなかった。にもかかわらず、山田氏がメイクやネイルアートを施しながら、「すごく素敵にしていらっしゃるのに、そんな言い方は似合わないですよ」とやんわりたしなめると、「あら、私ったら嫌だわ」とにわかに女性らしい反応を示したのである。
別の女性はリハビリをかたくなに拒み、日中もパジャマから着替えようとしなかった。しかし、山田氏によるメイクの最中に、鏡を見ながら「私、こんなに白髪が多かったかしら。美容院に行かなきゃね」とつぶやいた。そして、施術が終わると、美しくなった姿を周囲に見せようと、自ら歩き出したという。
メイクで変わるのは女性ばかりではない。男性も髪を整え、眉をカットするだけで、背筋がすっと伸び、居ずまいを正すようになった。
嫌がる高齢者にリハビリを強いるより、メイクで本来の自分を取り戻すお手伝いをする方が、よほど効果的なのではないか。とはいえ、メイク好きな施設の一スタッフが声を上げるだけでは、入居者に耳を傾けてもらえない。それなら、資格を取ろう。39歳で一念発起して美容学校に入学した。通信制だったが実技など通学が必要な講義もあり、「自分の子どもと同年代の若者たちと同じ夢に向かって頑張るのは楽しかった」と振り返る。
42歳で資格を取得した後は同じグループの施設も巻き込んで美容プロジェクトを立ち上げ、レクリエーションの一環として、6つの施設を回りながら入居者にメイクやネイルアートを施すイベントを開催した。プロジェクトは好評で、離職するまで7年近く続いたという。次なる転身へのきっかけは、そうした中で訪れた。
夢を後押しする人との出会い
「あなたは介護ができるし、美容師でもある。それで写真が撮れたらビジネスになるんじゃない?」。仕事仲間の何気ない言葉が心を離れず、現在の恩師でもある写真家に相談を持ちかけたところ、思いがけない答えが返ってきた。
「プロの写真家に必要な要素の50%はコミュニケーション能力で、残りの50%が撮影に関する技術。あなたはすでに高いコミュニケーション能力を持っているのだから、あとは撮影やレタッチの技術だけしっかり身につければ十分やっていける」
これを機に山田氏は写真家に師事し、人物撮影のノウハウを一から学んだ。とはいえ、そこからとんとん拍子で今に至ったわけではない。46歳の時にはパニック障害の診断を受けた。義父母との関係は良好だったが、このままでは何かあってもお世話できないと1人で2世帯住宅を出た。2年間のアパート暮らしを経て、25年の住宅ローンを組み、自宅マンションを購入した。
昼間は出張撮影、夜は介護の仕事という忙しい日々。しかし、「1人でも多くの高齢者にきれいになった自分と出会い、幸せになってほしい。高齢者を枠にはめる社会を変えたい」という山田氏のイノベーティブな挑戦を、周囲が放っておかなかった。
起業を強く勧めてくれたのは、共同経営者となった現会長。現顧問は自身の母親が山田氏の出張撮影サービスを利用したことが就任の契機となった。とはいえ、実質的なプレーヤーは山田氏のみ。撮影・写真の加工・納品作業に加え、経理や事務、営業もすべて1人でこなす。予約が入れば、メイク道具にカメラやストロボセット、撮影用の背景パネルを合わせ総重量20kgの仕事道具の詰まった大きなキャリーバッグを引いて、公共交通機関で移動する。
喫緊の課題は、後継者の育成だという。業務の傍ら介護美容の専門学校講師を務めているが、現状、教え子の大半がボランティアで仕事をしており、ビジネスとしてマネタイズするに至っていない。
「2025年には団塊の世代がすべて後期高齢者に移行します。美意識の高い高齢者が増える中で、将来教え子たちが働ける場所をつくりたい。高齢者を元気にする出張撮影サービスを、介護保険外のビジネスとして確立したい」
50歳での起業は、壮大な目標に向けてのスタートにすぎない。メイクで本来の姿を取り戻した高齢者たちの心からの笑顔を胸に、山田氏は今日もシャッターを切る。